ziechanA’s diary

気持ちは40歳台、年齢は老年、趣味は読書、将棋、麻雀、ゴルフ(スコアがさっぱり)で唯一の持病が糖尿病の爺ちゃんのブログです。中森明菜の「少女A」にちなんで「爺ちゃんA」にしました。糖尿病体験や好きな読書の感想などを書いています。 

戦国時代に日本人が奴隷として東南アジアに送られていたという事実!

 

戦国時代に日本人奴隷が存在した!

 

最近、宗教弾圧という言葉をメディアでよく耳にします。

 

私は歴史の教育でフランシスコザビエルによって伝えられたキリスト教を豊臣秀吉が禁止、弾圧したと教えられました。

 

ただ、そうした事実があったことだけで、なぜかということは全く教えられていません。

 

私が以前読んだ書籍「日本人が知らされてこなかった「江戸」」にその背景や理由が書かれていますので 今回、紹介したいと思います。

 

原田伊織氏著「日本人が知らされてこなかった江戸」

 

江戸時代にとられた鎖国とも関係していますのでそこからまとめてみます。

 

 

 

江戸時代に鎖国はなかった

学校教育で江戸時代には鎖国というものがあり、幕府による不条理な排外政策があったと習いました。

 

しかし、それがなぜなのかということはキリスト教禁止令とともに、聞いた覚えがありません。

 

歴史授業というのはひたすら起きた歴史事件とその年号ばかりだったような気がします。

 

江戸時代の鎖国

鎖国というのは「諸外国とのつきあいを一切行わないこと」です。

 

しかし、江戸時代にはいわゆる4口という対外貿易窓口があり、完全な鎖国ではなかったようです。

 

4口という貿易窓口
長崎口(出島)
対馬口(対朝鮮)
薩摩口(対琉球)
蝦夷口(対アイヌ)

 

鎖国という言葉は江戸時代にはなかった

鎖国という言葉は明治以降から広まりました。

 

江戸時代は鎖国という暗い時代であったというイメージを明治政府が作り上げて当時の明治政権の正当化に利用したのでしょうね。

 

ただし、江戸時代には対外貿易規制はあったようですが、、「鎖国令」というものではなく、「御禁制」でした。

 

「御禁制」の内容
  1. 海外渡航、在住、帰国の禁止
  2. ポルトガル船の来航禁止

 

なぜこのような御禁制を出したのか

幕府支配下の各藩が海外との交易により利益を得ることを警戒したものです。

 

参勤交代も各藩の力をそぐことが目的で、それもこれも江戸の国家体制維持のためでした。

 

キリスト教禁止も体制維持のため

キリスト教は1549年 スペインのフランシスコザビエルが日本に伝えました。

 

その後、1587年 豊臣秀吉がキリスト教を禁止しました。

 

秀吉がキリスト教を禁止した理由

戦国時代、戦場では放火、強姦、金品の略奪に加え、人の略奪というものがあり、人身売買も行われていました。

 

日本人が人身売買されて東南アジアに送られていたことがあり、これに関わっていたのがザビエルのイエズス会でした。

 

この事を知った秀吉がイエズス会宣教師ガスパール・コエリョを詰問しました。

 

コエリョの答えは 「日本人が売るからポルトガル人が買うのだ」ということでした。

 

このことに秀吉が激怒して「伴天連追放令」「人身売買停止令」を出し、これが江戸時代の「キリスト教禁止」につながりました。

 

当時の布教の目的

イエズス会のキリスト教布教と交易はこれだけにとどまらず「布教地の征服」が真の目的だったようです。

 

イエズス会は教皇の精鋭部隊であり、メンバーは騎士、軍隊で、日本侵略の尖兵の役割を担っていました。

 

よって、単に、宗教弾圧を行ったということではなく、国家体制維持のためということでした。

 

後記

この書籍を読んで日本人が奴隷として東南アジアに送られていたということを知って非常に驚きました。

 

またこのような事実が歴史の背景にあったことも学校教育では全く触れられていなかったことも大きな驚きでした。

 

国家を思う秀吉のような気骨のある政治家がいつの時代でも希求されますね。

 

一口知識

安土桃山時代から主にポルトガル、スペイン相手に「南蛮貿易」というものが行われていました。

 

「南蛮」という言葉は漢民族が「南の野蛮人」という蔑称として使っていたもので、日本人がヨーロッパ人に対して使うようになったとのことです。

 

一方、北ヨーロッパやイギリス人オランダ人に対しては「紅毛」と呼んでいたようです。

 

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二宮金次郎