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江戸時代の不思議な事件「明暦の大火」
江戸時代についての本を読むとこれまで学校教育で学んだイメージとはかなり違うという印象を受けます。
今回は原田伊織氏著の「日本人が知らされてこなかった「江戸」」に書かれているある不思議な事件「明暦の大火」を紹介します。
そこから当時の江戸人の災害に対する考え方も書かれていますので紹介します。
日本人が知らされてこなかった「江戸」 世界が認める「徳川日本」の社会と精神 / 原田伊織/著 | ||||
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明暦の大火
明暦の大火とは
明暦の大火とは明暦3年(1657年)1月18日 本郷の本妙寺で起きた大火事のことです。
これは江戸市街の大半を焼き尽くしたほどのもので、江戸城本丸も焼け落ちたそうです。
焼死者は107,046人、実に関東大震災なみの大きな火事だったのです。
大火後の幕府の対応
20日 災害担当として会津藩藩祖の保科正之が任命され、蔵米による粥支給や米の安売りや復興資金16万両(なんと現在の金額で208憶円)の供出などを実施したそうです。
消防の「定火消」が設置されたのもこの大火がきっかけだそうです。
振袖火事
明暦の大火は「振袖火事」とも言われています。
時は承応3年(1654年)のこと。
質屋 遠州屋の一人娘 梅野17歳が先祖代々の墓のある本妙寺に墓参りに行きました。
その道すがら 一人の前髪の美少年とすれ違い、一目ぼれをしてしまいます。
その後ずっと思い続けていたものの再び出会うことはありませんでした。
つのる思いに動かされ、その美少年の来ていた同じ色柄の振袖を呉服屋で仕立ててもらい人形に着せてなでたりさすったりして悶々とした暮らしをしていました。
しかし承応4年、明暦元年(1655年)ついに恋煩いのうちに病床に臥し、亡くなってしまいました。
最愛の一人娘を亡くした遠州屋は娘を不憫に思い、娘の振袖を棺にかぶせて本妙寺へ運び込みました。
住職は法要の後、この振袖を古着屋へ売却しました。
このことは当時においてはごく普通の行いだったようです。
そして時は過ぎ、1年後の明暦2年(1656年)の1月16日、梅野の命日のことです。
上野の紙問屋 大松屋の娘 おきの の棺が本妙寺に運ばれてきました。
驚くことにこの棺にはあの梅野の振袖がかけられていたのです。
住職は驚きはしましたが、偶然ということもあると考え、再びこの振袖を売却しました。
そしてまた1年後 明暦3年(1657年)の梅野の命日の1月16日のことです。
こんどは本郷のソバ屋の娘 おいく の棺が本妙寺に運び込まれました。
するとまたもやその棺の上には梅野の振袖がかかっていたのです。
住職は腰をぬかさんばかりに驚き、真っ青になりました。
美少年恋しの梅野の妄執が引き起こしたものと想像され、早速梅野の霊のお祓いをすることになりました。
そして1月18日 本妙寺において法会が執り行われました。
その日までの80日間は降雨が0で乾燥しきっており、当日も朝から強い北風が吹いていました。
本堂では住職の読経が終わり、火が焚かれました。
住職は振袖を広げて炎にかざしましたが、折からの強風により火のついた振袖が宙に舞い上がり、本堂の柱にからみつきました。
空気が乾燥していたこともあり、火がすぐに柱に燃え移りました。
そしてあっという間に本堂全体が火に包まれることになったということです。
江戸時代の災害の多さ
江戸時代は1603年から大政奉還の1867年までの264年間ですが、自然災害も実に多かったようです。
自然災害でも飢饉が深刻で4大飢饉(寛永、享保、天明、天保)があり、そのたびに人口減少があったようです。
江戸時代でもいわゆる国勢調査が行われていて京保6年(1721年)の1回目から最終の22回目の弘化3年(1846年)まで実施されています。
1回目の日本の人口は2606万人、最終の22回目は2691万人、この数値だけを見て一部の識者は「人口も停滞している江戸時代」という表現をしていますがこの本の著者はそれは大きな間違いであると指摘されています。
つまり、人口は増加傾向にあったが災害のたびに人口減少にみまわれたからだということです。
江戸時代にも「南海トラフ地震」があった!
大きな地震は3回ありました。
慶長9年(1605年)10月16日 東海南海地震 実に30メートルの大津波があったとか。
宝永9年(1707年)10月4日 宝永大地震・津波 M8.6でこれは南海トラフ地震。
大阪だけで実に1万人が犠牲になったとか。これが引き金になり、この地震から49日後の11月22日に富士山の大噴火が起こったそうです。
嘉永7年(1854年)安政東海南海地震 M8.4でこれは駿河トラフ+南海トラフとのこと。
幕府の災害対応
けっこう迅速な対応をしていたようです。
廻米と言って米を被災地に急送することや復興のための資金を無利子で融資したり、また大名に災害救助要請を発動したりというような対策をやっていたようです。
幕府のポリシーとして国の統治権限は天から与えられたものであり、仁政を行い平和を維持しなければ権限を失うことになるという考えが根付いていたようです。
こういう考えが元になって大名にたいする負担、参勤交代などが存在したのであり、ただ単に大名の反乱を防ぐためだけではなかったと著者は書かれています。
江戸人の考え方
現代の識者には「時代と共生」という立場をとる人がいますが著者はこれを強く戒めています。
己と自然が対等な立場ではなく、人はあくまでも自然の一部であり、自然の中で命を授かっているものと書かれています。
江戸人はまさにこの考えを身につけており、世の中を達観していたようなところがあります。
「宵越しの金はもたねえ」
いくら大事に持っていてもまた災害により焼け出される。それならたくさん持っていても仕方がない。という考え方。
「火事と喧嘩は江戸の華」
強がっているようにみえますが実は一種あきらめの心境。
江戸の家は紙と木でできており火事で焼失しやすいが、石造りにすればそれこそ地震で命をおとすことになる。
それならあえて火事をうけいれてやるという考えかたのようで、江戸人のポリシーは「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょうね。
やれることはやるが、その後は天命に従おうという潔い生き方ですね。
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