かかあ天下の江戸時代
江戸時代というと封建社会で暗いイメージがあり、江戸時代の女性は男性の奴隷的な存在であったような想像をしてしまいがちですね。
しかし実際にはそうではなく、女性の地位としては確かに低かったかもしれませんが、男性をあごで使うようなたくましさがあったらしいのです。
今でもそうですが、妻に頭があがらない夫が多数存在したのです。
この記事は下記著作を参考にさせて頂きました。
図解!江戸時代/「歴史ミステリー」倶楽部 | ||||
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大江戸生活事情 (講談社文庫) 中古-良品 | ||||
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お江戸でござる 新潮文庫/杉浦日向子【監修】 | ||||
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女性は大事にされていた
その大きな理由は人口割合で、江戸の町人人口(56万人)比で男52%に対し、女性は48%だったらしいのです。
ちなみに現代の日本人人口比は男性6045万人に対し、女性は6376万人、
東京だけで言うと男性656万人に対し女性は678万人と 女性のほうが多いですね(2018年 総務省統計局のデータ)。
一般庶民の夫婦生活について「世事見聞録」に書かれている事は夫が天秤棒をかついで商品を売り歩く仕事をしている間、妻は若い男と酒を飲んだりして遊んでいるとか、夫が疲れて帰ってきてもねぎらいの言葉どころか、逆に家事をやらせて下男みたいに扱っているというようなことが書かれています。
また、同じ罪を犯しても女性は1ランク刑が軽く、めったに死刑になることはなかったとか。
江戸時代の結婚
13歳から結婚できたそうで、婚姻届けは不要だったそうです。
お見合いや恋愛があったようですが、恋愛は「くっつきあい」と呼ばれたとか。
なお、江戸の人口の半分は武士であったらしくて、武士の場合は「命令婚」であり両親や主君の命令によるものだったそうです。
それで、夫が2歳、妻が1歳などというのもあったとか。
また、庶民とは違い、里帰りも出戻りもできなくて「二夫にまみえず」という言葉があったほどです。
当時の武士のポリシー
人は年齢とともに老化するものであるから外見にこだわるべきではない、
武家社会の結婚は世継ぎのためのものであって色恋ではない、ということだったようです。
また、武家の古老の言葉に次のようなものがありました。
杉浦日向子著「1日江戸人」から1部引用させて頂きました。
一日江戸人 (小学館文庫) 中古書籍 古本 | ||||
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夫婦は年寄ってからが主なもので交情のことなどは、いつしか取り離れ二人とも老境に入ってからお互いに世話をして親切ずくになってゆく。それは親子よりも情愛のあるものである。
これはあきらめ、あるいは妥協の産物かもしれませんが、いい言葉だと思いませんか?
よく、夫婦喧嘩の際に、親子は血がつながっているけど夫婦は血のつながりがないということをよく耳にしますが、情愛とういうものは血のつながりだけではないのでしょうね。
結婚年齢
女性の年齢で15~18歳は娘盛り、それ以降は年増と言われ、30歳になると姥桜(うばざくら)と言われたそうです。
そもそも江戸時代の平均寿命は40歳くらいだったようで武士の子は14歳で元服、今で言う成人式を迎えたとのこと。
だから30歳で姥桜も不思議ではないのでしょう。
ちなみに、小説「月のない夜」鳴海章著の中で「人生ごむ紐論」というのが出てきます。
月のない夜 徳間文庫/鳴海章【著】 | ||||
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40cmのごむひもを準備して14cmのところに印をつけておいて60cmまで引っ張って伸ばすと印のところが20cmくらいのところにくるのです。
だから少し前に制定された成人式は20歳となっているというのです。
現在は寿命が約80歳とすると、80cmまで伸ばすと印は30cmくらいになりますね。
今はそれくらいになってやっと一人前なのでしょうかね。
バツイチ平気、出戻りOK
庶民の見合いの方法は茶店や神社の境内で女性が連れてこられたのを物陰からこっそり男性が見て気に入れば女性に扇子を送るというものだったようです。
見合いにしろ、命令婚にしろ、相手のことをよく知らずに結婚するのですから離婚や再婚は当たり前であったようです。
花嫁の親も「つらいのならいつでも帰っておいで」と言って送り出したそうです。
ちなみに「出戻り」と言わずに「元帰り」や「呼び戻し」と言ったそうです。
奥さんの呼び方
- 庶民の奥さんは「かみさん」や「かかあざえもん」や「やまのかみ」
- 旗本、御家人の奥さんは「御新造(ごしんぞ)」さん
- 御三家、大名の奥さんは「奥方様」
- 公家、将軍の奥さんは「御息所」、「御台所」、「みやすどころ」
不倫
庶民の場合は 「ばれなければOK」であったが、武家の場合はご法度で「不義密通」ということになったそうです。
独身女性と人妻の区別がついた
独身の娘の髪型は「島田」というもので既婚者の髪型は「丸髷」であったとのこと。
加えて既婚者は歯を黒く塗る「お歯黒」をしていたり、眉をそり落とす「剃眉」をしていて区別が一目瞭然だったとか。
ちなみにお歯黒の材料は鉄くずを焼いたものを茶の中に入れて煮出し、それに五倍子の粉を加えて作ったそうです。
夫婦の並び方
現在は新郎の左手側に新婦が並ぶのが普通ですが、江戸時代は逆でした。
江戸時代は左側が上位という考え方があったからのようです。
現在の男性右側というのはヨーロッパから入ってきたもののようで、戦の時、右手に剣、左手に盾を持って女性を守るという考えらしいです、
大正13年 昭和天皇ご成婚時、宮内庁が決めたとなっています。