ziechanA’s diary

気持ちは40歳台、年齢は老年、趣味は読書、将棋、麻雀、ゴルフ(スコアがさっぱり)で唯一の持病が糖尿病の爺ちゃんのブログです。中森明菜の「少女A」にちなんで「爺ちゃんA」にしました。糖尿病体験や好きな読書の感想などを書いています。 

江戸時代の医療レベルは欧州並みで、医者になるのは簡単であった!

 

江戸時代について

私は時代ものの小説も好きなほうで、浅田次郎氏の「残侠」とか山本一力氏の「背負い富士」など興味を持って読みました。

 

今、浅田次郎氏著の「壬生義士伝」を読んでいる途中ですが、こういう時代小説を読む場合に背景として江戸時代があります。

 

読書をしていくにつれ、江戸時代とは はたしてどんな時代だったのだろうかという興味がわいてきて、書物を探し、まず手にとったのが杉浦日向子氏の「一日江戸人」でした。

 

杉浦日向子さんは1958年生まれで 生きていらっしゃれば今年61歳なのですが、残念ながら、2005年 下咽頭がんで46歳でこの世を去られました。

 

イラストもコミカルで、江戸の街をおもしろおかしく紹介されていて、どんどん江戸の街に惹かれるようになりました。

 

可能ならタイムトリップでもしてみたいくらいです。

 

今回はこの江戸時代においての医師についてフォーカスし、まとめてみました。

 

まとめるにあたって、下記書籍を参照させて頂きました。

 

江戸時代とは

江戸時代とは徳川家康が「関ケ原の戦い」に勝利し、征夷大将軍に任じられた1603年(慶長8年)から1867年(慶応3年)徳川慶喜による大政奉還までの264年の間の時代です。

 

私達が受けた教育では封建的で暗い閉ざされた時代であるかのようなイメージですが実際にはもっとオープンで元気で平和な時代だったようですね。

 

この時代についての別の記事もこれからまとめてみようと思っています。

 

それにしても、幕末の1867年というのは考えてみるとそんなに遠い昔ではないですね。

 

私は70歳ですが、私の生まれた年は1949年ですから、それからわずか82年前で、坂本竜馬が暗殺されたのも同じ1867年ですから、その頃まではまだ生きておられたということです。

 

江戸時代のお医者さん

風貌はお坊さんのような剃髪かまたは長髪で後頭部にまげを結っていたかのどちらかのようです。

 

ところで驚くべきことに、お医者さんになろうと思えば誰でもなれたらしいのです。

だれでも医者になれた理由
  1. レベルの低い医者は自然淘汰されていったので、あらためて医師資格などの法制化をする必要がなかったとのこと。
  2. 病気の治癒が医療によるものか自然治癒力によるものかがはっきりわからなかったよって、医師の認定について幕府は積極的な姿勢がとれなかったとのこと。
医者になるにはどうしたか

まず医者に弟子入りをします。

 

そして医者について患者の対応の仕方をOJTで学び、漢方薬の知識を覚えること、これで医者になれたということです。

 

ヨーロッパと日本の医療レベル

では医療のレベルはどうだったのでしょうか。

 

結論は当時先進だったヨーロッパと比較しても日本の医療は遜色なく、ほぼ似たようなものであったが、双方ともレベルとしては低いもので、名医と言われる人でもそうでない人でも治療方法は同じだったらしいです。

 

1823年(文政6年)杉田玄白や伊能忠敬のいた頃、ドイツ人のシーボルトが28歳の若さで長崎出島のオランダ商館付き医師として来日、6年間滞在したそうです。

 

そこで彼は医学等を日本人に教えたとのことですが、その頃はまだ麻酔も注射器も存在していませんでした。

 

麻酔がはじめて実施されたのは1846年アメリカとのことです。

 

手術時の殺菌に至ってはシーボルト来日から実に70年も経過してからのことだそうです。

 

一例として、今では虫垂炎(盲腸)の手術は普通に行われていますが、当時は不可能だったようです。

 

はじめて虫垂炎の手術が行われたのは1902年(明治35年)イギリスにおいて国王エドワード7世だそうで、成功したとのことです。

 

シーボルトの伝えた医療技術で「瀉血」というものがありました。

 

これは静脈から血を抜くことで、今では考えられませんが、当時は信じられていてモーツァルトやベートベンもこれで命を落としたとか。

医師国家試験の由来

ヨーロッパで医師の組合(ギルド)を作って、偽医者を排除し、医師利権の確保を目指したことが発端らしいです。

江戸時代のお医者さんの数

1820年の江戸時代では400人~500人に1人の割合でお医者さんがいたとのこと。

 

現在の日本と比較してみると、平成31年(令和元年)3月の時点で人口は1億2624万8000人で、約1億3000万人です。

 

医者の数は約32万人とのことなので 12624/32=394.5となり、約400人に1人の割合ですから、江戸時代も現代と同じ程度の数のお医者さんがいたということですね。

 

補足-江戸時代の人口

驚きますが、8代将軍吉宗の頃(1716年~1745年)、この時代において6年に一度国勢調査のようなものが実施されていたようです。 

 

日本全体では約3100万人、江戸の街では約100万人であったようです。

 

ちなみに当時のロンドンは87万人、パリは55万人で、江戸は世界的にみても立派な大都市だったのですね。

 

参考

現在の日本の都市の人口は、2018年10月時点で、東京は1382万人、大阪は881万人、名古屋は754万人です。