「思わざる」について
余計なことを考えないこと
「思わざる」についての体験や思いです。
64歳頃 頻脈が出たり、不眠気味になった時に、思ったことはリラックスするというのは簡単に見えて かなり難しいなと思いました。
少し 胃腸に不調を感じたり、頭痛があれば急に不安になってくることが ありますよね。
余計な心配をする必要もないのに 自然考えてしまう。これが 人間なのですよね。
「病は気から」という言葉は 真実ですね。
怒りや不安、緊張など 気持ちの変化で体が敏感に反応し本当に病気になってしまう。
気を強く持て というのは簡単ですが、では実際にどうすればいいのでしょうか?
呼吸法と単純動作の反復
ひとつは 前回 紹介した 小林弘幸さんの呼吸法です。
もうひとつは 単純動作の繰り返しではないかと思っています。
これはぼくの推測ですが、お経を声をだしてあげたり、修行のために山道を歩くこと、瞑想なんかも 目をつむって自身の呼吸に集中するとかなどもいらぬことを考えないためにやっているのではないかと思うのです。
瞑想の場合には 眠ってしまわないように「半眼」がいいようです。
小林弘幸さんの本でも 貧乏ゆすりは自律神経のためには よいことだと書かれています。
四国のお遍路さんも 高僧の千日修行もみんな そうではないでしょうか。
煩悩を払うというのはこういうことなのではないかと思うのです。
以前 テレビで どこかの偉いお坊さんが瞑想をされていて 同時に血圧をモニターできるようになっていたのを見ました。
すると、瞑想中に 彼は 自分の血圧を自在に上下させることができるのです。
結局 「悟りを開く」というのは自分で制御できない自律神経を 自身が自在にコントロールし、「平常心」を身につけることなのではないかと思うようになりました。
寺にあがった小坊主さんが 早朝 起きて冷たい水で雑巾をぬらし、長い廊下をひたすら 走りながら拭いてまわるという動作も実はこのための修行なのではないでしょうか。
よく「阿保は風邪をひかない」と言いますが、これも 本当かもしれないと思います。
余計な 不要なことを考えないというのが身についていれば病気にもならないのでしょう。
「無の境地」イコール「アホになること」ではないでしょうか。
「文武両道」とういう言葉もあります。
安保徹著「自分ですぐ できる 免疫革命」
にも次のように 書かれています。
「昔の人たちは、体を動かすことが、健全な精神のためにも ぜったい必要だということを知っていました。」
医学が今のように 発達していなかった遠い昔の日本人の知恵には心から 脱帽です。